ニューヨークとは、アメリカとは、そして日本とは。 マーケティングに関する話や人々の日常生活の中で思ったこと、考えたこと、驚いたことなどを書き留めていきます。
March 27, 2011
別世界
3月も終わりに近づき、桜の話もちらほら出てくる時期ですが、ニューヨークは何故かまた寒くなりました。そして、僕の心も全く晴れません。日本から絶え間なく送られてくる、哀しい話に何もする事ができず、ただた祈るだけの日々と言えます。もちろん仕事もあれば、友人との会話も普通にこなしているものの、ココロの奥底は、重くて隙間のない蓋がずっしりと乗っているような気分です。
週末、ジムに通い、人通りの多いダウンタウンを歩きました。写真は、大手電気チェーン店の状況です。日本を代表するゲーム機メーカーの任天堂から、3DSが今週末発売されます。日曜の発売時に備え、徹夜組を含め順番どおり配れるようにと、店側が配慮しています。同時に、メディアも登場して、この発表を盛り上げてはいます。そこを通り過ぎると、新しいゲームの発売日を心待ちにしている幸せな顔をたくさん見る事ができました。一瞬、僕のココロも楽になったのですが、やはり同じ時間を避難所で過ごしている方達を思うと、ずっしりと重い蓋がかぶせられました。米国は別世界です。
March 18, 2011
思うこと
Austin, Atlantaからの出張から昨晩ニューヨークに帰ってきました。南部の暑さ迄とはいきませんが、ニューヨークもすっかり暖かくなってきて、厳しい冬のコトはすでに忘れさせてくれます。
Union Squareを見下ろせる場所でのランチにしました。ニューヨークの春の始まりを告げるかのごとく、この場所には大勢の人たちが集まり始めています。14丁目を慌ただしく通る車やバス、公園の中で楽しそうに歓談している人たちを眺めていました。ふと気がつくと、全く何も考えていない、もしくは考えられない自分がそこにいました。昨晩の帰りの飛行機の中でもそうでした。マンハッタンのイルミネーションを空から見てはいるのですが、何も考えられません。思いつくのは、被害に合い、寒い中避難所で暮らす人々やその親族、ぎりぎりの所で生死をかけて仕事をしている電力会社職員、自衛隊、消防関係者やその家族など、日本の今の状況のことばかりです。
僕達の国日本は、両親の時代、祖父母の時代、そしてそれ以前も、苦労と努力を繰り返すことで過去の様々な困難を乗り越えてきました。そして、今こうして経済的にもモラル的にも世界のモデルになるような国を築き、僕達が自由に生活できるような礎を与えてくれたのです。僕たちはその血と志をしっかりと受け継ぎ、その次の世代へと受け渡していく義務があります。今、ここでその世界にも誇るべくリレーを絶つわけにはいきません。そのために、何をしなければいけないか。直面している事実に対して、自分ができることがあまりにも小さいことが情けないのです。寄付ももちろんしました。ただ、本当に必要なのは「手」であり「足」なのでしょう。それができない自分に絶望的な無力さを感じる空虚な時間が無念でなりません。
March 16, 2011
今できること
地球の反対側にいて、自分に何ができるのか。日々刻々と伝わる知らせに触れるごとに、全く何もできない無力さが悔しいです。
仕事で Texas州 Austinに来ています。ここでは、若者文化の象徴でもある、音楽、映画、デジタルをテーマとしたカンファレスが催されており、三万人以上の聴衆が集まっています。所属している会社がブースを構えるということで、以前からこの日のために準備してきました。そして、本番の直前に東日本大震災が発生したのです。
発生直後に、こちらの同僚と'Save Japan"メッセージを伝えよう!と、急遽決め、募金やその他メッセージを募るための仕掛けを大急ぎで制作しました。写真がその様子です。ここには、西欧の同僚達の純粋でアツい想いもこめられ、それが会場全体の聴衆にも伝わっています。こんなに離れている僕には、この程度のことしかできませんが、ひたすら「頑張れ日本!」と胸の中でつぶやきながら、日々過ごしてます。
March 03, 2011
伝統それとも保守的?
毎回、天気の話から始めてしまうこのブログですが、長かったニューヨークの冬が、少しずつ終わりを迎えようとしています。帽子や手袋は、一旦役割を終えることになるでしょう。と思いきや、今日はまたとても寒くなり、なんとも歯切れが悪いです。
ちょっと時間が経ってしまいましたが週末は、大学の古い方のジムに出かけてきました。プールを中心に利用するのですが、新しい方は水泳部や水球部が時折試合をする理由上、週末に利用できない場合もあります。そんな時は、古い方のジムに行きます。古いと言っても30年程前に建てられたビルなので、今でも普通にフル稼働しています。
この土曜日、その古いジムに入館すると、普段と雰囲気が違うことに気がつきました。男子バスケ部の公式戦があったのです。写真がまさにその様子です。ピンぼけしていて見えにくいかもしれませんgな、フロアには、即席の観客席が作られ、ブラスバンド部が勢いよく演奏をし、チアリーダーの声も聞こえます。学生の応援以外にも、親やOBなどの年配の人達も見かけます。
いつものジムの散々とした雰囲気とは全く違うことに驚かされたと同時に、もう一つすぐに頭に浮かんだコトがありました。「米国の映画でよく見る学生バスケ回想シーンそのもの」だったのです。大人になった主人公が昔の自分、特に体育館でのバスケットシーンを思い出す場合にいつもでてくる、あのシーンだったのです。やはり、この国は保守的と言ってもいいのかな?それとも「学生バスケとはこういうモノだ!」という、確固とした伝統を守る気概なのか、よくわかりません。それはそうと、試合をちょっとみたのですが、お世辞にも強いとは言えません。でもダンクができる選手がいたのにはホッとしたのです。
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