October 23, 2009

ギャラリー


気温の変化が激しいニューヨークです。ここ数日暖かでしたが、今日は寒くなりました。写真は、打ち合わせでチェルシーの少しはずれのエージェンシーに出かけた帰りにみたシーンです。何かのセールと思いきや、別にモノを売っているわけではなく、これもアートの一つでした。

何かが新しいわけでもなく、ただ普通にChelseaのギャラリー街の真ん中に出ていたものです。別に特別上手だと思ったわけでもなかったのですが、この作品に吸い込まれるようにギャラリーの中に入り、歩いただけで「すっ」と気持ちが楽になった気がしました。こうした感覚というのは、不思議なものですね。

マンハッタンの暮らしは日々騒々しいし、何かと面倒なことが起こることが常です。そんな中、こうした「ほっとできる」空間が身近にあることさえ忘れがちでした。アートに決して詳しいわけではない僕ですが、NYのギャラリーの雰囲気は心を落ち着かせてくれる作用があるんだな。と改めて思った一時でした。

October 16, 2009

ちょっとした事件


昨日の午後、CNNなどで生中継で追いかけたニュースがありました。コロラドで、気球が制御不可能になり、気流に乗って流されているその気球の中に、子供が乗っている(入っている)という話です。詳細はこのYoutubeで見られます。100kmあまりもの距離をコロラドの平原上空を漂流し、最終的に落下した場所で救助してみたところ、誰も乗っていなかった。というなんとも間の抜けた話でした。

当事者の父親は科学者であり、この物体の実験をしていた最中に、近くにいた6歳の息子がいなくなり。。。という話でした。結局その息子は屋根裏に隠れていたようで普通に元気だったのです。かわいいお子さんだな。と思ったらお母さんは日本の名前の女性でした。浮遊している時間、メディアの飛行機が撮影のため追いかけたり、一般の空港を閉鎖するなど、かなり緊迫感のある事件でしたが、けが人ゼロで人騒がせな事件として終わりました。

そんな中、このWebページで何を伝えたいのかと言いますと、Web広告の盲点に関してです。Contextual Targeting、日本語では文脈ターゲティングと呼んでいますが、ページ中の記事の内容に「合った」広告メッセージを表示する。という手法です。簡単に言えば、デジカメの評価サイトにて、Canonの機種を評価する記事があれば、そのページ中にCanonのバナーやテキスト広告が表示される。という手法です。代表的なものが、Googleが提供するAdSenseというサービスです。

で、ここでも事件が起こったわけです。今回の記事は、決して明るい話ではなく、子供が入ったまま漂流していて生死すらわからない。といったようなシリアスな事件なのです。そのような記事の隣に大々的にオートミールのQuaker社の広告「マウスを置いて浮遊しよう!」というデリカシーのないメッセージが「合った」広告として自動的に配信されてしまったわけです。

この業界に長い僕にとって、この手の話は悪い例として引用されますし、特に新聞や雑誌の広告においては「ad/edit conflict」として避けるべきことなのです。ところが、インターネット広告ではその配信から管理すべてが機械的に行われるため、今回のように微妙な判断に間違いが生じるケースが「必ず」発生するわけです。割合からすれば、微々たるものですが、広告主からすれば「困ったこと」になるわけです。また、この事件が最大手の一つAOL社のページにて発生したのも複雑です。というのも、このターゲティングの仕組みを提供している企業とは以前、提携を前提に交渉した相手でもあり、こうした「事件」は事前に回避できる。と言い切っていた人達でもあったわけなのでなおさらでした。テレビにて世を騒がせた事件が、違う形でインターネット広告においても小さな事件を引き起こしたわけでした。

October 15, 2009

変化は着々と進行中


すっかり寒くなってきたニューヨークです。これから週末にかけて冷たい雨となり、それからぐぐっと冷え込んでくるような気配です。

さて、今日は久々に真面目なテーマを取り上げてみます。米国を引き金として世界を巻き込んでいる不景気ですが、ようやく回復の兆しが、ほんのわずかですが見えてきた気がします。不景気の最中に、従来のビジネスモデルが破綻し、復活する段階で新しいビジネスモデルとして蘇生するケースもよく見かける。と耳にしますが、これに近いことを最近感じたりするものです。

昨晩、制作プロダクションを運営する友人主催の寄り合いに呼ばれました。写真はその時のシーンですが、ここではニューヨークのFilm Maker達が制作したショートフィルムの発表や、友人の最近のビジネスを紹介したりする、かなりフランクなGatheringです。昨晩は全部で4種類のショートフィルムを見たのですが、質がかなり高いことに驚かされました。

一話が10分以下のエピソードをシリーズで制作しているモノが主でしたが、コメディ、シティライフ、ドキュメンタリー等々それぞれのシナリオ、キャスティング、カメラワーク、編集技術等々、テレビ放映や映画館上映にすぐにでもなり得るデキに、とっても驚いたわけです。それらのコンテンツはYoutubeなどを中心としたWeb上にて、HD品質にて無料放映されています。ニューヨークという街柄、Flim Makerが集まるのは事実です。僕が驚いたのは、そのコンテンツを披露する手段や場が「かなり」身近、いや普通になった。という点です。

一昔前であれば、同様の内容のコンテンツを制作しても、披露する場が「Independent系シアター」などに限られ、聴衆にリーチすることがかなり難しかったはずです。しかし今では、オンラインビデオ配信技術やSNSの発展のおかげで簡単に世界中の聴衆を引き込むことが可能になったわけです。この変化は映像コンテンツの世界ではかなり大きな変化でしょう。ハリウッドのように何億円もかけて制作する映画と、昨日見た4種類のフィルム。もちろんその規模や質が根本的に異なり、スケールの大きなコンテンツがなくなるとは思いません。ただ、小回りが効いて、歯切れのいいショートコンテンツの評価が高まる気配があるということでしょう。景気が上昇するにつれ、このエリアでの新しいビジネスモデルは確実に訪れる。と感じた夜でした。

October 09, 2009

さりげなくグローバル


早いもので10月も3分の1が経過しました。先週末は実家の磐田市でのお祭りがあり、今年は帰ることができずに、遠くから「きっと今頃は宮入りでもしてるだろうな」とその場にいけないことを悔やんでおりました。

とっても月並みな言葉ですが、ニューヨークはグローバルな都市です。いまさら、何をと思うかもしれませんが、普通に生活しているとそれが当然すぎてすっかり忘れてしまいます。例えば、地下鉄やバスで見る風景。いろいろな人種、肌の色、容姿、服装。そのバリエーションは見事なぐらいです。人を見ているだけで、飽きないのも事実です。ニューヨーク歴15年+といえどもそうなのは驚くべきことです。日本に行って、電車の中で座っていてふと思う、「皆同じだ」。という感覚がここではゼロでしょう。

写真はノリータで突然見かけた、建築関係の小さなリサーチプロジェクトの入り口です。ブラウンストーンの建物の中に、すっきりとした白いボードが目立ったので、「アート関連のインスタレーション」なのか。と思って覗いてみました。アートとは若干異なるものの、スイスの建築家関連のものでした。このような形で、街全体にさりげなく、世界中の息吹がちりばめられているのは世界中でもニューヨークだけなのかな。と、改めて思いました。